なぜ「盲導犬」と呼ばれるか、「アイメイト」とは何か、まとめて解説します。
次のように主張する人がいる。
しかし、これは誤りだ。盲導犬は盲人誘導犬の略語だからだ。「盲導」の部分だけ取り上げるのは適当でない。
ただし台湾では導盲犬と言う。台湾導盲犬協会がある。盲導犬では奇異に感じるのだろう。
アイメイトと呼ばれる盲導犬がいる。財団法人アイメイト協会を卒業した盲導犬だ。
そう呼ぶのには理由がある。アイメイト協会のコンセプトに示されている。
少々長いが、原文も引いておく。
日本では一口に『盲導犬』と呼ばれていますが、米国では『Seeing Eye Dog』『guide dog』『leader dog』 など、いくつかの呼び方があります。お手元に英和辞典があったら、たとえば『Seeing Eye Dog』をひいてみてください。米国Seeing Eye inc.で育成された盲導犬、と書かれていると思います。頭文字が大文字になっていることから分かるように、特許登録されている名前でもあります。Seeing Eye inc.は米国でもっとも優れた技術や歴史、哲学を誇る団体で、『Seeing Eye Dog』と呼べるのはここの犬だけです。つまり米国では出身団体や犬の能力などによって、それぞれ呼び方が異なるのです。
日本でも各協会によって、考え方や訓練方法はそれぞれ異なります。また、実際の犬と人との関係を考えたとき、単に『盲を導く犬』とは言い表せないのではないか、と私たちは考えています。この呼び方では、『利口な犬が盲人を連れて歩いている』と受け取られがちです。そのため、この事業が語られるとき、盲人がいかに自立しているかより、犬がお利口で可愛いというほうに話がいってしまいます。しかし、主体は犬にではなく、人にある。私たちはそう考えるのです。
一番目の理由、「別名による差別化」は理解できる。優秀な犬を卒業させている、という自負が感じられる。
だが二番目は理解できない。「利口な犬が盲人を連れて歩いている」と思われて何が不都合なのだろうか。人が「盲導犬」と口にするとき、彼は犬を話題にしているのだ。犬の利口さや可愛さが主題となっても当然ではないか。腫れ物に触るように盲人を扱うのは感心しない。
この文書はウェブサイト「ちんたらした暮らし」の一部です。