純血種と雑種の好みなど、どうでもいい

説明

好みを主張する馬鹿らしさを論じます。

本文

純血種と雑種の好き嫌いを主張するのは馬鹿らしい。趣味の問題だからだ。巨人だ、阪神だと騒ぐのが馬鹿らしいのと同じである。

そして、好みの問題は感情的になりやすい。フーリガン(熱狂的なサッカーファン)を思い浮かべれば分かる。

感情的な人の書く文章は支離滅裂になるだろう。以下の文章を読んでみてほしい。

ミックス犬だって素敵な可愛い犬です。子犬の頃はどんな成犬になるのかワクワクドキドキ。成犬になってからは、純血犬に負けない体力の持ち主であることが多いですね!私は、ミックス犬は甘やかされて育つことの多い純血犬に比べて,飼い主の気持ちを敏感に察知し、訓練性能の良い犬が多いような気がします。
皆さんは、純血犬・MIX犬に、犬としての違いがあると感じますか?それを感じている方がもしいらっしゃるとしたら、その方は並外れた感覚の持ち主さんなのでしょうね。残念ながら私には、純血とMIXの犬としての違いなんて全然感じることができないのです。同じ犬に見えますし、同じ能力を持っているとしか思えません。

前者の「犬種の話し」は雑種を持ち上げ、後者の「手放される純血犬たち」は純血種と雑種に違いを認める人を揶揄している。

一見、支離滅裂でないように見える。しかしそうではない。筆者が同一人物だからだ。好みを語るのは、まったく馬鹿らしい。

この文書の情報

この文書はウェブサイト「ちんたらした暮らし」の一部です。

公開日
2004年11月4日
最終更新日
2005年12月4日
作成者
岩本隆史
URL
http://purl.org/net/slowlife/20041104/